ナイチンゲール

5/12は”看護の日”でした。 看護の本質を理解してもらうために各地でさまざまなイベントが催されました。 なぜその日かというと、その日はナイチンゲールが生まれた日だからです。

白衣の天使としてあまりにも有名なナイチンゲールは1820年、今から200年近く前に裕福なイギリスの地主の家で生まれ育ち、非常に高い水準の教育を受けた女性でした。
なぜ看護の道に入ったかというと、慈善訪問で貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにするうちに人々に奉仕する仕事をしたいと考えるようになったからです。 そしてクリミア戦争に赴き、野戦病院での看護を志願しました。 当時の看護師は身分の低い下女たちのする卑しい仕事とみなされ、専門知識も必要ない職業と考えられた時代でした。

クリミア戦争では献身的な看護、トイレの掃除、衣類の洗濯をはじめとした衛生環境の整備などによって死亡率42%を5%にまで改善した功績があげられます。
そして最も素晴らしいことは、兵士達の死亡の原因が実は病院内の不衛生と感染によるものだという事を一目で判るようにグラフや数字にあらわし統計学的に立証して、2度と同じ過ちを繰り返さないために医療衛生改革を成し遂げたことです。
ランプを片手に傷ついた兵士達の看護にあたるという白衣の天使のイメージがあまりにも強すぎるのですが、実際は徹底した行動主義者であり統計学者であったといえます。
病院建築、看護学校の設立、ナースコール、病室内の洗面台の設置も全てナイチンゲールの提案によるものです。

ただ自身はクリミア戦争、心臓発作で倒れ、その後の50年間はベッドで過ごしながら執筆活動を続けたといわれています。 なので90年の生涯のうち実際に看護師として働いた期間は2年半だけだったそうです。
また、有名になることを嫌ったナイチンゲールの墓石は遺言でイニシャルと生没年月日が刻まれているだけです。

看護学校ではまず、ナイチンゲールの「看護覚え書」を学びます。現在でもその教えは色褪せることなく受け継がれています。

ひろこ