以下の文章は、娘の医大在学時代に父兄会雑誌に原稿を依頼されたときの文章です。私の人生の努力目標として、診療に勤めてゆくための目標としてもまだ使えそうです。
凡人の学問の勧めです。

5つのゆとり(五(ご)ゆっくり)

1.聴くゆとり(雑学のすすめ)

医学は専門化が進み、それぞれの分野はますます狭く、その内容は細分化され、専門に研究する人のみの議論であり、その人のための領域となりつつあります。
広野の一本木は、根をしっかりと張るまでは、雨に洗われ、風に吹かれてなかなか大きく育てません。大きく育てば、外界からの圧力はさらに強まり、倒壊の危険性は常について廻ります。
深い知識を支える幅の広い学問を身に付けることは、専門知識の大木の周りに専門分野を支える防風林を育て、さらにその裾に雑学という草地が広がり、森を作り裾野が広がれば、専門知識の大木は確りとしたものになります。
森の裾野が広ければ広いほど、いろいろな人々の悩みや苦しみに対応でき、多くの異なった考え方を理解でき、相談に乗り、解決できるでしょう。慈恵医大学祖『高木 兼寛』先生の『病気を診ずして病人を診よ』の実践になります。
雑学は、人の悩みを『聴くゆとり』を与えてくれます。

2.説明するゆとり

臨床医は、臨床医学に対する全般的なある程度の知識と、専門分野に関する深い思考力を持ち合わせていれば、それ以上の知識の習得に走る必要性はいかがなものでしょうか。余裕があれば、周辺知識を補強する、いわゆる雑学の知識の拡大に努力することが大切であると考えています。
成績が良いときは、思い込みが強く判っているつもりとなり、独断的になり、他の意見を取り入れる余地は極めて少なくなります。あまり成績の良くなかったならば、いつも反省反復し、自分の考え方を修正し、補充できるため、考え方は常に修正が加えられます。
知識を入れる場所に余裕があれば、自分の考え方を『説明するゆとり』が得られます。

3.認めるゆとり

人はひとつの小宇宙であると中国医学では考えています。社会生活において、自分とは思考過程の違う人々が、それぞれの生き方を一生懸命に求めています。その人々の考え方に出来るだけ沿いながら、出来るだけ受け入れたのち、相手の考えを否定するのではなく、自分の考え方をなるべくその人の考え方・立場に近づけ、説明するしなやかさが我々の職業には特に大切になります。相手の思考方法を拝借し、相手の思考方法に則り、状況を判断し、どこからそのような判断が出てくるのかを考え、自分の説明がなるべく相手に理解される方法をみつける工夫をしてゆきたい。
全人的治療を行うためにも、行動様式や考え方の違う人々の存在を『認めるゆとり』も必要です。

4.思いやるゆとり

外来診療では、一見同じような症例が数多く診られます。しかし患者さんの訴えは、それぞれの人の観点に立ち聴きだすときは同じものは一つとしてなく、全く違うものに見えてきます。一人、一人の相違を引き出し、個々の訴えを理解できる情感と高い感受性を持つことは『思いやりのゆとり』につながります。

5.優しさのゆとり

世はすべて優しさを求めています。しかし自分に対する優しさは、易(やさ)しさ、恥(やさ)しさに通じ、行動力、決断力の鈍さを覆い隠すものになります。確固たる知識による厳しい診断が出来てこそ、患者さんを取り巻く生活環境を考慮しながら、いかなる方法で伝えるかを考える気持ちの中に余裕が生まれ、『優(柔)しさのゆとり』になるでしょう。

これからの人生を考え、この5つのゆとりを持って診療できるように『五(ご)ゆっくり』生きてゆきたいものです。